「きのこの山」には原型となったチョコレート菓子があった!? 知られざる「きのこの山」と「たけのこの里」のトリビアをご紹介!
■「きのこ」の元は宇宙船!?
ユニークな形をしている「きのこの山」の原型となったのは、チョコレート菓子のアポロ。アポロは、1969年7月に人類初の月面着陸を達成し、世界中から注目を浴びたアメリカの宇宙船・アポロ11号をイメージし、同年8月に三角形の一口チョコレートとして売り出されました。
しかし、生産が開始された当初、アポロの販売はなかなか波に乗れませんでした。そこで工場の設備を有効活用するために、似た形のお菓子として、クラッカーをアポロに挿したきのこの山が試作されたといいます。
ですが、この案には賛否両論があったそう。当時は、板チョコやチョコバーといった製品が主流で、ポッキーが発売されたのも直近のことでした。チョコスナック系のお菓子は、まだまだ受け入れられていなかったようなのです。
■「きのこの山」は攻めたお菓子だった…
チョコレートの形を工夫し、クラッカーとの最良のバランスを探るために試行錯誤を繰り返して何百といった試作品を作りながら、開発を続けること約5年。チョコスナックが徐々に浸透し始めた1975年になって、初代・きのこの山はようやく発売へとこぎ着けます。
そのパッケージデザインの基調色は、菓子製品には合わないとされていた緑色。また、商品名も、横文字がもてはやされていた時代に逆行し、あえて自然をイメージさせるような親しみやすいものとして、きのこの山と命名されました。今となってはそのような印象は受けないかもしれませんが、発売当時としては、かなり攻めた商品だったのですね。
■なぜ「きのこ」と「たけのこ」がモチーフなのか
1979年には、「たけのこの里」の販売が開始されました。きのこの山から4年も遅れることになってしまったわけですが、実はきのこの山が発売されたときから、たけのこの里という商品の構想は存在していたのだとか。
なんでも、高度経済成長期にあった当時の日本では、都市への人口集中や公害などが社会問題になっていたため、日本の原風景を思い出させてくれて、ほっとするようなお菓子を作ろうと考えたとのこと。そこで、里山に生えるきのことたけのこをモチーフにしたそうです。
こうした経緯を経て売り出されたきのこの山とたけのこの里は、発売されるや否や、大人気商品となりました。そして発売開始から40年以上が過ぎた現在でも、食べるとほっと一息つけるお菓子として、人々から愛され続けています。