「素人が経済や政治について語ってはダメなの?」本田圭佑やダルビッシュによる問題提起は暴論なのか?

コラム

 

ブラジル1部のボタフォゴに所属するサッカーMFの本田圭佑(33)が4月26日、自身の公式ツイッターを更新。本田本人が積極的に行っている政治的発言を批判する(一部の)声に対し、以下のような持論を述べている。

 

 

 


米メジャーリーガーのダルビッシュ有投手(33)も4月27日、自身のツイッターを更新。

 

 

……と、本田の“見解”をアシストした。

 

「むしろ多くの貴重な意見は、素人の率直な意見にある」──名言ではないか。まったくもってそのとおりだと私も思う。この手の「アーティストや俳優(女優)やアスリートなどによる政治(経済)的発言に向けられた批判」のおもな一つに、本田やダルビッシュが指摘する「素人は余計なことに首を突っ込まず、本業に専念しろ」といった論調があるが、じゃあ誰から誰までが一体「素人」なのか? 政治(経済)的発言が許される「玄人」とはどこらへんからの“プロ”を指すのか? 安倍首相が国会や記者会見でしょっちゅう口にしている「専門家の方々」のことか? たとえば『サンジャポ』に出演しているMCの爆笑問題やレギュラーコメンテーターのなかで“発言可”のカテゴリーに属するのは? デイブやテリー伊藤は×、元東京高等裁判所判事の細野敦弁護士は○、杉村太蔵は微妙……そんな感じか? みんな大好き「まっちゃん」こと松本人志だって“表現者”としてはプロ中プロフェッショナルなのかもしれないけど、政治や経済に関してはド素人ではないのか?

 

あと、本田をも含む“専門外著名人たち”の政治(経済)的発言を批判するもう一つのロジックに「影響力のある立場の人が迂闊な発言をするのは危険」という懸念の発想がある。じゃあ「影響力の有無」を明確に分割する基準はあるのか? 高須院長とラサール石井の間くらいに線を引けばいいのか? ウーマン村本はどっち? ぜんじろうは?

 

新型コロナショックの影響によって、有象無象な情報の氾濫にますます拍車がかかる昨今のインターネット社会において、我々に求められているのは、よりいっそうの注意深さに基づく情報取捨選択能力である。どの情報が正しくてどの情報が間違っているのか? どの情報が自分にとって有益なのか無駄なのか? こうしたジャッジを“情報を受け取る側”の個人個人に委ねる性善説的な“信頼”こそが、日本国憲法に記されている「言論の自由」の骨子を支えているのだから……。

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