「なんかの理由で日本は低く抑えている」緊急事態宣言中に古市憲寿の言葉がもっともハマった理由とは

コラム

写真:アフロ

 

東京・大阪・北海道をはじめとする8都道府県の緊急事態宣言がまだ解除されていないさなか、日本国民全体の “気のゆるみ” を指摘するたぐいのニュースが、メディアやインターネット上で散見している。

 

たとえば、ネット版の『日刊スポーツ』では、銀座にある入店規制がかかる洋服店に訪れた20代女性による「(銀座は)けっこう(人が)出歩いている。気がゆるんでいると思う」といったコメントを紹介しており、「じゃあアンタはどうなんだ!?」と、ついツッコミを入れたくなるような、自分のことをキレイサッパリ棚に上げた支離滅裂さが否めないケースもあったりする。が、東京や大阪の感染者数がここ数日劇的な下降線を辿り、他県の “解除” に倣って都心部に住む人たちにもふと “油断” が生じてしまう心情も理解できなくはない。また、こうした “傾向” を私は肯定するつもりも批判するつもりもない。自分だって間違いなく自粛に対する耐久力は尽きはじめているし、その兼ね合いを合算したうえで、どこまでを “いけないこと” とジャッジすればよいのか、正直よくわからなくなってきているからだ。

 

さて。そんなこんなのこれまでの自粛生活中、いろんな識者や著名人による新型コロナショック関連の発言を多く目の当たりにしてきたわけだが、それら有象無象のなかで、抜きん出て私の印象に残っているのが、5月10日に放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、社会学者・古市憲寿氏(35)が語った、とある主張である。

 

「世界各国のリーダーの支持率が上がっているけど、明らかに日本より失敗している。死者の数だってとんでもなく多い。ニューヨークのリーダーの言葉が強いのは分かるけど、それだけであって、実際の数字は惨たんたるもの。もうちょっと冷静に見てもいいと思う。理由は分からないけど、なんかの理由で日本は低く抑えているのは本当なので、そこはもっと見てあげてもいい」

 

少なくとも私のマインドには、ものすごくすとんと落ちる “名言” であった。「なんかの〜」という前後の文脈とは確実な違和感のある、まるで友だちとの雑談にでも出てきそうな無理やりチックな集約感がとてもいい。

 

その「なんかの理由」とは、日本政府が選択した政策と国民の努力のおかげかもしれないし、日本の高温多湿な気候のおかげかも黄色人種ならではの特性なのかもしれないし、BCGワクチン接種のおかげかもしれない。もしかすると、これらすべて、あるいはそのいくつかの微妙な複合形が成せるワザだったのかもしれないし、それ以外のなにか要因があるのかもしれない。いずれにせよ、唯一判明しているのは「日本が感染者数や死者数を低く抑えられている理由はハッキリと判明していない」という事実だけなのだ。

 

「ハッキリと判明していない」のなら、「なんかの理由で〜」なる言説は、じつのところもっとも的を射た表現なのではないか?

 

なんでなのかは不明でこそあれ、それなりに結果を出している──古市氏がおっしゃるとおり、そこは素直に我々日本人は、もっと自己評価してもかまわないのでは……? 今後、世界レベルでのコロナ対策の精度をよりいっそう高めるため、「なんかの理由」を明文化できるまで研究・分析していく作業はもちろん必要不可欠ではある。けれど、密やかに「オレらアタシらも案外捨てたモンじゃない…よね?」と、たまには自分を、日本という我が国を褒めてあげるのも、コロナ疲れを癒す、有効なストレス解消法の一つだと思うのだが、いかがだろう?

こちらの記事もおすすめ!
駅まで迎えに来た親とのLINEでのやりとりが「ある都市伝説」のようだと話題に

駅まで迎えに来た親とのLINEでのやりとりが「ある都市伝説」のようだと話題に

ページトップ