『鬼滅の刃』はビジョン型、『ONE PIECE』は共感型? 今の時代にマッチするのはどっち?

コラム

 

つい先日、ここcitrusで、漫画や劇場版映画で『鬼滅の刃』を読んだり観たりしていない人たちが受ける「キメハラ(※鬼滅の刃ハラスメントの略語)」について考察し、
 

もしかすると「○○ハラ」の「○○」の部分が「ハラ」と音感的に相性がいいものが、ハラスメントとして広く認知されているだけなのでは……という推論へと到った。だって、一昔前に『ONE PIECE』が『鬼滅の刃』と似たような感じで流行ったときは、「ワンハラ」なんて言葉、あんまし全然聞いたことなかったですしね。理由は単純、「キメハラ」と比べて「ワンハラ」は語呂が悪いから?


……なんて、いささか乱暴な仮説を提言したばかりではあるのだけれど、『PRESIDENT Online』で、『鬼滅の刃』と『ONE PIECE』を比較論的に解説した、ちょっと面白い記事を見つけたので、今日はそれについて、ゴメスの私見も加えつつ、述べてみたい。
 
同記事の筆者で、商品開発やブランド育成のコンサルティングを行っているという敏腕マーケター・桶谷功さん曰く、『ONE PIECE』は「ビジョン型」、対して『鬼滅の刃』は「共感型」であるらしい。もう少々詳細すると、
 

『ONE PIECE』の主人公・ルフィーは「海賊王におれはなるっ!!」と宣言し、そのルフィー個人のビジョンに賛同する仲間が一人、また一人と増えていき、敵と戦って倒していく──そうやって目標に一歩ずつ近づいていく達成感で成り立っているストーリーで、ある意味、少年ジャンプが掲げる「友情・努力・勝利」を地で行く(ジャンプ)王道の作品です。
 
いっぽう、『鬼滅の刃』の主人公・炭次郎は徹頭徹尾、「人のため」に行動します。炭次郎は家族を鬼に惨殺され、たった一人生き残った妹の繭豆子は傷口に鬼の血をあびたせいで、みずからも鬼になってしまうのですが、炭次郎の目的は鬼への復讐よりも、繭豆子を人間に戻すことにあるのです。
鬼と戦っていくなかでも、ひたすら人を救うことを一義に置く炭次郎は「利他的」であり、「共感型」です。(中略)個人の目的を達成するために、自分が中心となって活躍する「ビジョン型」のルフィーと比べると、炭次郎は他者への共感力にあふれています。これが、女性にもファンが広がった最大の理由だとみています。


……とのこと。そして、現代のように先行きの見えにくい時代には、一つ間違うと「海賊王? 勝手になれば?」ってことにもなりかねない『ONE PIECE』はマッチしづらくなってきているのでは……と、桶谷さんは分析する。
 
たしかに、新型コロナショックの収束がまだまだ不透明でもある昨今、「利他的」というキーワードは、とても重要なポイントとなっているのは間違いない。「他人にうつさないために、人混みの中ではマスクをする」「家族を守るために不必要な大人数の会合にはなるべく参加しない」「でも、経済を回すために極力の安全を確保して旅行には行く」……と、多くの国民の根底に滅私奉公型の発想がこびりついているがゆえ、今の日本はコロナとの微妙なバランスをかろうじて図りながら、なんとか持ち堪えているのではなかろうか? そんなご時世に破天荒な夢を抱き、その野望を果たすためにはマスクもせずにずいずいと中央突破を繰り返すタイプの、豪放かつ野心的な人間にどことない違和感が生じてしまうのも無理はない。 いや、破天荒な夢を抱くこと自体が悪いと申しているわけでは決してない。ただ、あと半年、1年という短期的なスパンにおいて、その手のヒトたちは幾分か煙たがられる可能性もなくはない、ということ……か?

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