石橋貴明が語る「野球をやっていてよかった」理由に思わず納得!でも「野球をやっていてよかったこと」は、そのほかにもある!?

コラム

 

ネット版の『ザ テレビジョン』によると、3月10日にタレントの石橋貴明(59)と、元MLBプレイヤーの斎藤隆(51)が『「AIG」×「MLB CUP2021」特別プロジェクト発足発表会』に登場。少年野球時代の思い出などについて振り返り、今まさに野球に熱中する子どもたちへ応援のメッセージを送った……らしい。そこで石橋が語ったという自身の野球経験談がなかなかに感動的であったので、とりあえずはここでも、その一部を紹介しておこう。

 

 
(野球をはじめたきっかけについて)「兄がやっていたので、気づいたときには自分もやっていました。当時、王さん長嶋さんを観て、はじめて後楽園球場のナイターに行ったときにカクテル光線を見て、素晴らしいな…こんなところでやりたいと思ってはじめました」

 
(「その後のキャリアで、野球をやっていてよかったと感じることは?」との質問に対して)「少年野球からはじまり中学高校とやりつづけたんですが、高校野球のときは、3年生の最後まで残った同級生は13人しかいなかったんです。ただ、一つの目標を一緒に追い続けた仲間たちは、卒業して40年たってもかけがえのない友人となっています。あとは…あれだけ厳しい練習に耐えると、社会人になって多少つらいことがあっても乗り越えられるんですよね(笑)。体力とか精神力とか」

 
私は、中学時代は陸上部で、高校時代は硬式テニス部……と、10代のもっともスポーツに集中的な修練を費やすことができる時期に、団体競技に身を投じた経験がない。陸上にもテニスにもそれなりに一所懸命、取り組んではいた。だから、石橋が申すところの「社会人になって多少つらいことがあっても乗り越えられる体力や精神力」に関しては、似たような境遇で育まれてきた実感もなくはない。けれど、「一つの目標を一緒に追い続けた仲間たちは、卒業して40年たってもかけがえのない友人となっている」といったくだりに至っては、正直あまりピンとこない。今でも、たまに高校時代の部活の仲間と会うことはあっても、そこまでの連帯感を「テニス」に抱くことができるのか……は、甚だ疑問だったりする。そんな石橋の話を聞くとチョッピリ羨ましくて、中学や高校で「個人競技」をチョイスしてしまった自分に対し、いささかの後悔の念さえ生まれてしまう。

 
こうしたある種のコンプレックスも潜在的にあったのだろう。私は40歳になって野球をはじめ、そのとき友人とともに結成した草野球チームは今年で19年目を迎える。

 
たしかに、チームメイトたちは皆すべてがかけがえのない仲間である。そりゃあ「毎日部員たちと顔を突き合わせていた中学や高校時代特有の連帯感」とは質が多少異なるのかもしれないが、仕事で知り合った仲間にはない“損得抜き”の関係はとても新鮮かつ貴重で、まさに「野球をやっていてよかった」と、幸福な気分に浸ることができる。

 
失礼を承知で言わせてもらうと、高校生だったころは、野球ばかりをやっている野球名門校の球児たちを観ながら、「このヒトたち、プロになれなかったら将来どうなるんだ?」なんて心配を無責任にしている自分がいた。が、これこそ本当に余計なお世話であった。彼らは、大人になって、野球に直接携わることのない仕事に就いても、草野球のチームに所属し、新しい(最低でも)9人の仲間を得て、10代で培ったスキルを遺憾なく発揮しては「チームの要」として重宝されつつ、日々社会の波に揉まれている。別にスポーツじゃなくてもかまわない。吹奏楽でもコーラスでも、なんでもいいから、とにかく団体でできる活動を見つけて、今一度「一つの目標を仲間と一緒に追い続けてみる」のも決して悪くないのではなかろうか。

 

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