優しかった母が壊れていく…統合失調症の母と向き合った壮絶な36年間

コラム

 

ある病を描いたマンガ「わが家の母はビョーキです」

 

その中身は、ある病に侵された母と過ごした娘ユキさんの壮絶な物語。


優しかった母が壊れていく。娘を連れて、裸足で街をさまよい、鬼の形相で包丁を向ける。それでも母の病と共に生きた娘ユキさん。果たしてどんな病気だったのか?

 


■ストレスから幻聴が聞こえる

 

1973年、埼玉で娘・ユキさんは生まれた。母・ひさ子さんとユキさんは、大阪の夫の実家で両親と暮らし始めたが、ここでの生活がひさ子さんを変えてしまう。


見知らぬ地での生活。姑はとにかく厳しかった。周りには友達も知り合いもいない。頼りの夫は、ギャンブル好きで家庭など顧みない。孤立無援……ひさ子さんの生き甲斐は娘のユキさんだけ。


そんな母が27歳の時、壊れ始める。それは突然だった。どこからともなく自分への悪口が聞こえる。


外に出ても自分を罵倒する声は鳴りやまない。聞き覚えのある声のようにも思える。監視されているのか?目の敵にされている。


どこからともなく聞こえてくる、謎の声。何かに苦しむひさ子さんの行動に家族も異常を感じていた。

 

 

そんなことが続き、ついには近所から電話があった。ひさ子さんが、土足で上がり込みうずくまっているという。


あの嫁はおかしい……近所からささやかれた。家族はひさ子さんに出ていってもらう事を決めた。4歳のユキさんと離されひさ子さんは1人、千葉の実家へ帰された。


だが、娘のユキさんは「どうしても母親と一緒にいたい」と母のもとへ。でも母の状態は変わらない。異常な行動で娘を困らせ続けた。そして母はついに精神科病院の隔離病棟に入院することになった。

 


■母の病は統合失調症

 

診断の結果、医師の告げた病名は精神分裂病。当時はそう呼ばれたが、現在の病名は統合失調症。


脳内で情報を伝えるべき神経伝達物質のバランスが崩れる脳の機能障害。強いストレスのみならず、持って生まれた脳機能や環境など様々な要素が絡み合うことが原因とされ、現在も研究が進んでいる。


日本人の場合、およそ100人に1人の割合で発症すると言われている。症状は個人差が大きいものの、主に幻聴や妄想、幻視、そして、本人がそれを現実のものと誤って受け止めることが特徴である。


基本的な治療方法は、精神療法と薬物療法。抗精神病薬で過剰に分泌される脳内の物質を調整し、リハビリテーションや環境のサポートにより状態の改善を目指す。


治療の甲斐もあり、ひさ子さんは1か月程の入院で退院できるまでになった。母の回復に娘のユキさんも大いに喜ぶ。幼いユキさんには母が一番の存在だった。


その後、実家を出て夫と3人でのアパート暮らしを決心した。ひさ子さんは今度こそ夫も真面目に家庭のことを考えてくれると望んでいた。しかし夫はギャンブルをやめる気配はなかった。


ひさ子さんにお金をせびる夫。ストレスで心は不安定に……。しかし抗精神病薬を飲み、パートで家計を支えた。


すると今度は副作用が母を苦しめた。頭がボーッとして激しい倦怠感。やる気が起きない。薬を飲めば仕事に差し支える……飲まなければ副作用は出ない、と飲むのをやめてしまった。


飲食店でのパート中。忙しさで頭が混乱してくると、またしても幻聴が。しかし、ひさ子さんは幻聴だとは思わない。

 

 

そんな日々が続き、ユキさんが10歳の時に母の症状はさらに悪化する。

 


■娘に包丁を向ける母

 

朝、ユキさんが目覚めると、母の様子が豹変していた。「殺す」と言いながら包丁を握りしめる。このような恐ろしい豹変は度々。しかし、時間が経つと正気に戻り泣きながら娘に謝る母。


※この女性のような症状(記憶がなくなるほどの豹変)は、個人の体験に基づいたものです。精神医学上、統合失調症の症状に意識障害はないとされています。症状には個人差がありますし、ほかの障害が合併している可能性もあります。


普段は優しい母。だが、その症状から逃れようと今度は酒を飲むようになった。すると、優しく穏やかな表情は消え失せ、うわごとを繰り返した。


決して危害を加えることはなかったが、ユキさんにとって家は戦場。学校から帰るときは毎日緊張する。ドアを開けると、優しく出迎えてくれる母。そんな時はほっと胸をなでおろす。


一方、母のひさ子さんも自分の病が日に日に悪くなっている事を認識していた。そしてその頃から自身の給料が振り込まれる口座の引き落とし方など。生きるための術をユキさんに教え始めた。何かあって自分がいついなくなってもいいようにという母の覚悟だった。

 

 

ユキさんが17歳の時、母の決断で両親は離婚した。母娘2人での生活。母のそばを離れられず友達とも遊べないユキさんはつい辛く当たってしまう。だが強く責めれば、それがまた母のストレスとなり症状が出る。その繰り返し。


母「怖い怖い怖い……私誰かに狙われてるから警察読んで」


繰り返される妄想や幻覚。症状のパターンは増え、回復にも時間がかかるようになっていた。2人は出口の見えないトンネルの中にいた。

 


■母と離れマンガ家の道へ

 

それでも、体調がいい時の母は仕事を続けてユキさんを育てていた。注意の欠かせない母と過ごす生活の中、ユキさんの唯一の楽しみはマンガを読む事だった。
その世界だけが、現実から逃れられる。


高校を卒業したユキさんは大手のデパートに就職。新たな環境で社会人としての喜びに満ちていたが家に帰れば現実に戻される。


たった1度の人生。できるうちに自分のやりたい事を……そう考えたユキさんはデパートを退社し、マンガ家への道を志した。


21歳での新たなスタートは自分だけで決めた事。しかし母は安定した職を手放したのは自分のせいだと感じるようになり、大きなストレスとなった。母はトイレの洗浄剤を飲もうとしたり、タバコを食べようとするなど、自殺を試みようとしてしまう。
 

 

母はそのまま入院となった。


入院は長引く事になり、その間ユキさんは念願のマンガのアシスタントの仕事に就いた。母の事を気にせず初めて大好きな仕事に明け暮れる毎日。ユキさんは自分の夢に近づいているという実感をかみしめていた。

 


■母の病にようやく向き合えた

 

そして、母と離れて1年……。退院の日。母は本当に回復したのか? ユキさんは不安だった。すると、母は別人のようにふっくらとなっていた。


実は、抗精神病薬の中には食欲を増進するものがあり、これは回復の傾向なのだと言う。穏やかな母の笑顔を見たのは何年ぶりのことか……。


そして母は、同じ病の人たちが集まる地域生活支援センターに通うようになった。ケアするスタッフも皆、統合失調症の事を理解しているため役所への手当の手続きなどもサポートをしてもらい、ユキさんの意識も変わる。スタッフの一人に、母親が飲んでいる薬の種類を聞かれると、自分が母の病気のことを何も知らないことに気づいた。

 

 

長くそばにいるのに、自分は母の病気と向き合ってなどいなかったのだ。これを機にユキさんは母の病気についての勉強を初めた。


薬は年々改良され、副作用も緩和されている。その人に合った薬とその適量を見つけるのがまず有効な治療の第一歩。


知れば知る程、病気に対する恐怖心もなくなっていった。すると、こうしたユキさんの理解と適切な治療に加え周りの対応で、母の統合失調症は少しずつ回復していった。

 


■母との日々をマンガに

 

ユキさんは母と歩んだ日々をマンガにする事を決意。


そこに描かれているのは母のありのままの姿。統合失調症は怖くない病気。知らない事のほうが怖い。ユキさんの思いは大きな反響を呼んだ。


そして2013年。発病から36年、母のひさ子さんは誤嚥が原因でこの世を去った。


36年間、統合失調症の母と向き合い壮絶な日々を過ごしてきたユキさんは、13年前に結婚。母と3人で生活していた。その暮らしの中で、統合失調症が回復する病気だということを肌で感じたユキさん。

 

 

家族が少しでも病気を理解することが大事……そのことを一人でも多くの人に伝えるため、彼女は今もマンガを描き続けている。(2016年11月30日OA)

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