「論破」はこれからの社会にマッチしない?議論するときに大切な "思考" に納得
SNSで盛り上がった選りすぐりのネタを紹介するcitrus。
山野 弘樹 / Hiroki YAMANO(@Ricoeur1913)さんの投稿が話題になっています。
「論破できる人カッコいい」っていう風潮があると思うのですが、相手の議論の弱点を突いて自分の(一時的な)優位を示す「論破的思考」よりも、互いの議論の穴を補い合うことで、新しい洞察を共に獲得できるような「対話的思考」の方がよほど建設的だし、これからの社会にもマッチしている気がします。
— 山野 弘樹 / Hiroki YAMANO (@Ricoeur1913) July 13, 2021
論破って、別にできてもカッコよくはないですよね。
大事なのは、悪い点を指摘した "後" の話し合いですね。
すごく共感します。
私は相手に勝つことが目的になっていると視野が狭くなりドツボにハマり、
問題解決を目的として、相手の言ってることや捉え方を理解しようとすると視野が広がり解決に結びつく、と思ってます。もちろん解決に至らないことも多々ありますが、相手に勝つ姿勢だとほぼ無理です。
— マコ(真コ)ちゃん (@Irf60vkWxLLnW1p) July 13, 2021
話を聞かない人も多いですよね(^_^;)会話のキャッチボールすら出来ない(^_^;)
— まろん (@O3FjvUSLsGYiOAo) July 14, 2021
ディベートにしても相手を打ち負かしてポイントを稼ぐためにやるんじゃないし。
議論をして問題点をあぶり出し、より良い方向性を探る理解を深めるためにやるはず。
勘違いしている人がいるんだよね。
— こおろぎ@置かれた場所を裂きなさい (@kokoronoyu) July 13, 2021
また、このような声も。
屁理屈な人をうまく説得するって意味での論破はスカッとしますが、はい、論破論破〜みたいなのは嫌いです。正論が正しいわけじゃないというか。話の内容というより、論破論破言ってるその人の話し方だったり、態度だったりもするのですが、かっこいいと思ったことはないです。苦手です。
— ネモ (@anemonemonemone) July 14, 2021
相手を論破することでドーパミンが分泌されるらしいのですが、それゆえ何かを生み出すための対話ではなく快感を得るための対話=論破になってしまうのかもしれませんね。
他者を罰することでドーパミンが出るという研究結果もあり、論破とはある意味自分の意見と異なる他者への罰なのかもですね。
— ケイ THE 雑学ただ学術的雑学を呟くだけの人 (@mikaitabi) July 14, 2021
私自身この論破できるのはすごいの発想でした。知識があり有能な者は、自分の思考と言葉で敵対している相手でも打ち負かさせられると。しかし、自分がそもそも話など聴いてもらえる立場でない状況になってやっとわかりました。有能であればある程、相手の言葉に耳を傾けられ対話ができるのだと。
— Kumi (@180601kumi) July 13, 2021
私見ですが人間は闘争を求め、優位性を尊び妥協し悲観し他を蔑む生き物です。
誰しもが自分を特別だと思い、誰かの上に立つチャンスがあれば他者を貶めても上に立ちたい。
ネットではカッコいいという風潮ではなく、リスクを伴わない会話における人間的な根幹の部分が露呈しているのだと考えています。
— 渡航瀬界 (@toy_sekai) July 13, 2021
論破することがカッコイイと思っている人は考えを改めて、建設的な対話をしてくれると嬉しいですね。