ひろゆき氏の問題提起をきっかけに、さまざまな意見が飛び交う「SNSで幸せアピールする人の心理」の“真実”は、はたして!?

コラム

 

最近、私がインターネットのトップページに設定しているYahoo! ニュースにおいて、「2ちゃんねる」の開設者で「ニコニコ動画」の元管理人でもある「ひろゆき」こと西村博之氏の話題占拠率がやたら高く感じるのは気のせいか?

 

ずらりと並ぶニュースのリード文に「ひろゆき」のワードが入っている記事を、私が頻繁にクリックしているため、Yahoo! 側のAIが多少の "作為" を施してこうなっているのか……そこらへんの詳しいシステムについてはよくわからないのだけれど、私がひろゆき氏関連の記事をわりと読んでいるのは事実であり、実際ひろゆき氏の発言をフックにしたコラムも複数、ここにアップしている。なぜ? 

 

自分なりに分析してみるに、ひろゆき氏が自著やSNSで発信する主義主張らしきものは、(原則として)ちまたで起きているさまざまの身近なもしくは鮮度の高い事象にまず "極論" でスポットを当て、そのピックアップされたテーマが“今後”どう化けていくか…を、にこにこと俯瞰気味に楽しむスタイルを主としている(っぽい)、いわば「過激な問題提起型」なため、コラムを書く側(=私)からすれば、話を膨らませやすい……のかもしれない。

 

ってなわけで、いささか前置きが長くなってしまった(=言い訳がましくなってしまった)が(笑)、今日もひろゆき氏ネタである。

 

ひろゆき氏が9月20日にツイッターを更新。「SNSで幸せアピールする人の心理」との自身のインタビュー記事を貼り付け、

 

「幸せだったらSNSにかまけてる暇が無いほど楽しく暮らしているはず。SNSで幸せアピールをしている人は『幸せだと思われたい不幸な人』というイメージを自ら振りまいている浅はかな人だと思ってるおいらです」

 

……という、いつもの“極論”を展開していた。同ツイートに対して、コメント欄にはひろゆき氏の思惑どおり(?)

 

 「幸せだから幸せを実感するためにSNSを使うんじゃないの」

「幸せの実感を『いいね』の数で確認しているのでは?」

「反応してもらうことも幸せに含まれているのでは?」

「そうですね。幸せアピールうざいと思うもん」

「わかる気がする」

 

……etc.と賛否両論の意見が飛び交っている。

 

私は、このひろゆき氏による "問題提起" に関しては、

 

「賛否どっちも言えてるけど、総合的にはややひろゆき氏寄り?」

 

……くらいの心証であった。たとえば、私のインスタグラムは「ラーメン」「ラーメン以外の外食」「おうち料理」「旅行」「面白スポット」「喫茶店」「キレイな景色」「奇妙なオブジェ」「渾身のタイムリーヒット」……ほか、モノの見事に一貫性には欠けており、

 

「もっともハネないインスタの典型的な悪い見本」

 

……と、某インフルエンサーから烙印を押されたこともあるシロモノだったりする。

 

フォロワー数は約500人。でも、私はあくまで(自分の)インスタグラムは「写真も掲載できる気軽な日記」と見なしていて、これ以上フォロワーを積極的に増やしたいという野心も、一切ない。


いっぽうで、「凡庸な日なんて一日もない」とでも言わんばかりにエキサイティングでラグジュアリーでロハスな“スキのない”毎日を過ごしている風に“演出”されたSNSを目にしたら、

 

「このヒト、なんかしんどそう…」

 

……と、ついいらんおせっかい的な老婆心を抱いてしまう。前出した「賛否両論の意見」のなかにもあったとおり、そういうヒトたちは(おそらく)「反応してもらうことも幸せに含まれている」わけで、「しんどい」って自覚もないんだろう。が、私は「不特定多数に自分の幸せを自慢し続ける」ほどのタフなハートを持ち合わせてはいないし、「このラーメン超美味しかったよ」と、限られたフォロワーだけへと、時おりのタイミングでささやかな自慢を小出しするだけで、もう十分なのである。

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