山下達郎も全否定!? 昨今あまりにも安易に乱用されがちな「アーティスト」なる呼称について、あらためて考察してみよう!
ネット版の『大人の週末』に、岩田由紀夫さんという音楽評論家が『山下達郎はなぜ「アーティスト」と名乗らないのか 音楽の達人“秘話”・山下達郎(1)』なるタイトルのコラムを寄稿しており、たいへん興味深く拝読させていただいた。
1980年代半ばあたりから、ミュージシャンのことを「アーティスト」と呼ぶのが主流になってきて、昨今ではデビューしたばかりのアイドルすら「アーティスト(さん)」扱いで、さらには無名のアマチュアまでもが自身のプロフィールに堂々と「アーティスト」と記載する時代に……。こうした風潮のなか、岩田さんは
単なる言葉なんだから、どうでも良いのかも知れないが、ぼくには違和感がある。アーティスト=芸術家という呼称は、自分で名乗ったりするものではなく、人が認めて初めて成立するものではないだろうか。
……と、疑問を投げかけている。そして、岩田さんのそんな“問題提起”をより具現的に裏付けるロジックとして、山下達郎(68)の発言が、いくつか本コラム内には引用されている。まずは、1988年にアルバム『僕の中の少年』をリリースしたころのインタビューで、山下達郎は次のように語っていた……らしい。
僕の中のイメージでは、アーティストというのは、自分で一から創造する人のことなんだ。でも、自分の音楽は、これまであったものを紡ぎ直しているだけなんだ。だから、アーティストではなくアルチザン=職人なんだ。僕としても、アーティストと呼ばれるより「ポップス職人」って言われる方が嬉しいんだよね。若いミュージシャンが、自分のことをアーティストなんて言っているのを聞くと腹が立つね。その人がアーティスト=芸術家だったかなんて、何十年、何百年後の人たちの評価で決まることでしょう。
また、その3年後である1991年にリリースされたアルバム『ARTISAN(アルチザン)』のライナーノーツには以下のようなことが書かれている……という。
私は(ミュージシャンを「アーティスト」と呼ぶ)その語法が大嫌いで、せめてフランス語の「Artiste(アルティースト)」(=芸能人、おもに俳優・歌手・ダンサーという意味)くらいで留めてくれと思いましたが、残念なことに今ではすっかり常用語として定着してしまっています。
私もこれらの意見に猛烈なる共感をおぼえる。余談ではあるが、私だって目指すところは「生涯一文筆家」という名の「アルチザン=職人」だったりする。
とりあえずはコラムや記事で誰だかについて書く際、「アーティスト」という大仰かつ曖昧な“肩書き”はじつに厄介だったりする。「アーティスト」だと、文中に登場するその人物が、はたして「歌を歌っている人」なのか「楽器を演奏したりダンスをする人」なのか「絵を描く人」なのか「洋服のデザインをする人」なのか、それとも「髪を切ったり整えたりする人」なのか「他人のメイクをする人」なのか……が特定できない。だから、私は自身の原稿では「アーティスト」じゃなく、極力「シンガー(ソングライター)」「ペインター」「ファッションデザイナー」「詩人」「美(理)容師」「ヘアメイク」……と、まさに「アルチザン」寄りの、少しでも限定的な肩書きを使用するように、複数の肩書きを持つ人なら「兼」を多用するように努めている。
私が脳内でイメージする「アーティスト」とは「総合芸術家」──いわば
「絵や音楽や文学…ほかの表現手段に囚われない、究極的には生き様そのものが芸術な人」
……のことである。たとえば、本業ミュージシャンの某氏が絵も描いてみたら、とてもソリッドで素敵な作品になりました……みたいなチンケなレベルではない。本物の「アーティスト」には、ある日突然、天啓のごとくインスピレーションが舞い降りてくる。そして、その瞬間からその「アーティスト」は居ても立ってもいられず自分が持ちうる才能をフル稼働し、まるでなにかに憑依されたかのように全身全霊で表現活動へと突き動かされていくのだ。
「その人がアーティスト=芸術家だったかなんて、何十年、何百年後の人たちの評価で決まることでしょう」と、山下達郎は「アーティスト」を定義するが、あえて私の主観で現代期の偉人をパッと何人か挙げてみるなら、アンディ・ウォーホルやマイケル・ジャクソンなんかは、まごうことなく「アーティスト」の名に相応しいパフォーマンスと“生き様”を我々に見せてくれた稀有な存在だと思う。まだご存命の日本人だと横尾忠則に山本耀司……音楽界では(皆さん、少々「意外」とお感じになるのかもしれないが)滋賀県知事選に出馬との噂もある、筋肉への執着も激しい西川貴教……がゴメスのなかでは「アーティスト(気質)」だったりする。サザンや安室奈美恵……はもちろん違う。YOSHIKIはわりに「それっぽい」けど、やはり微妙に違う。あと、ちょっと毛色の違うタイプだと、プロ野球界引退直後になんの前ぶれもなくいきなり一心不乱にラッセン調の絵画を描きだした新庄剛志とか……が、けっこう「アーティスト」に近い位置にいると考えるのだが、いかがだろう?