90年代は芸人歌手がミリオンヒットを飛ばしてた! 浜田雅功や有吉弘之の曲と言えば?

コラム

citrus 文月

 

90年代といえばとんねるずやダウンタウンといった、今なお活躍するお笑い芸人がお茶の間を賑わせた時代。そして彼らのなかにはお笑いだけでなく歌手活動をしていた芸人も多くいた。そこで、今回は歌手活動をしていた芸人3組とその楽曲を解説!

 

 

■猿岩石/『白い雲のように』(1996年)

「猿岩石」は有吉弘之と森脇和成が結成したお笑いコンビ。日本テレビ系のバラエティ番組『進め!電波少年』で行われた企画“ヒッチハイクシリーズ”でブレイクし、アイドル的な人気を集めたことで知られている。そんな彼らがヒッチハイクから帰国し、人気が爆発していたさなかの1996年12月、元チェッカーズの藤井フミヤ・藤井尚之が作詞作曲を務めた楽曲『白い雲のように』をリリースした。

楽曲は先述した“ヒッチハイクシリーズ”を連想させるようなノスタルジックな曲調となっている。その売り上げはなんとミリオンセラーを超え、彼らの知名度をより高めることにつながったのである。

「第39回日本レコード大賞」では新人賞を獲得するなど、芸人としてではなく歌手としても破竹の勢いを見せた猿岩石。しかし、2000年代に入ってからは活動に影が見え始め最終的に2004年にコンビは解散。だが、有吉はその後奇跡の復活を遂げ、今やテレビ業界の大物の一人に名を連ねているのはご存知の通りだ。

 

 

■とんねるず/『ガラガラヘビがやってくる』(1992年)

石橋貴明と木梨憲武が結成したお笑いコンビ「とんねるず」。1980年代にフジテレビ系の『オールナイトフジ』や、『夕やけニャンニャン』などの番組に出演したことで若者人気を獲得。1987年に同じくフジテレビ系の『ねるとん紅鯨団』を開始してからはさらに人気が上がり、彼らはお笑いコンビとしての位置を不動のものとした。

そんなとんねるずは、お笑い活動の傍らで歌手活動を行っていたことでも有名。なかでも、1992年にリリースされた『ガラガラヘビがやってくる』は、当時の小中学生の間で大ブームとなり、ミリオンセールスも達成した曲として知られている。

第2期『とんねるずのみなさんのおかげです』の第2オープニングテーマとして使用されたこの曲は、あの秋元康が作詞を担当。ご存知の方も多いと思うが、秋元ととんねるずは親交が深く、『雨の西麻布』、『情けねえ』などの作詞も秋元が担当している。とんねるずのヒット曲の裏には、この大物プロデューサーがいたというわけだ。

 

 

■H Jungle with t/『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』(1995年)

日本を代表するお笑いコンビ「ダウンタウン」。1980年代にNSC大阪校の1期生として入学後、関西地区の毎日放送系の番組『4時ですよーだ』で若者から絶大な支持を受ける。東京進出後も日本テレビ系の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』、フジテレビ系の『ダウンタウンのごっつええ感じ』などのモンスターヒット番組を持ち、その知名度は全国に拡大し、現在でもその人気は衰えない。

コンビのひとり浜田雅功は、今では芸人、司会者としての活躍が印象的だが、歌手としても結果を出している人物。1995年3月に名音楽プロデューサーの小室哲哉とタッグを組み、「H Jungle with t」名義でリリースした『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』はダブルミリオンを記録した。破格のCDセールス数であり、名実ともに90年代を代表する名曲として人々からは知られている。

このふたりのコラボは番組内の浜田の些細な一言がきっかけ。フジテレビ系の音楽バラエティ番組『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』に小室が出演した際、浜田が“俺にも曲を作ってくれ”という旨の話をしたところ、なんと小室のほうから実際にオファーが来たというのだ。90年代を代表する名曲がこんなきっかけで作られたというのだから、世の中わからないものである。

 

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