『愛という名のもとに』30周年…鈴木保奈美が唐沢と江口に捨てられた感動偽装ドラマ
鈴木保奈美さんが主演し、唐沢寿明さん、江口洋介さんら今なお活躍する人気キャストを揃えたドラマ『愛という名のもとに』が今年で30周年。『Smart FLASH』(光文社)でドラマ批評連載を持つ筆者が、このドラマの主人公が迎えた末路を考察します。
『愛という名のもとに』は、1992年にフジテレビの看板ドラマ枠「月9」で放送され、全話の平均視聴率が20%超え、最終回の視聴率は30%超えを記録した大ヒットドラマです。
しかし、恋愛コラムニスト・恋愛カウンセラーという立場である筆者が観ると、このドラマの恋愛観は今とは大きく違い、男のエゴを強引に美化する “感動偽装” がすさまじかったのです……。
■ヒロインが男のエゴにただただ振り回される残酷作品
鈴木さん演じる貴子、唐沢さん演じる健吾、江口さん演じる時男といった大学時代のボート部の仲間7人を描いた群像劇。大学卒業後に疎遠になっていたものの3年後に再会し、7人の仕事、恋愛、夢などに対しての苦悩が描かれていきます。
高校教師になっていた貴子と、父の跡を継いで国会議員になるために秘書として働く健吾は恋人同士。ですが健吾は貴子にプロポーズしておきながら、父が進めていた政略結婚の話を断れずに屈してしまいます。
わざわざ仲間たちが集まった場で、健吾が「俺は政治家になる夢を捨てられない」と貴子に結婚できないことを告げたシーンは、さながら残酷ショー。あまりの身勝手さに時男が健吾をぶん殴っていましたが、それでも視聴者の留飲は下がらなかったのではないでしょうか。
その後、実は大学時代から貴子が好きだった時男が彼女に寄り添うようになり、付き合うことに。それまでは女のヒモになって暮らしていたり、怪しげなテレクラ業を営んだりしていた時男でしたが、貴子との結婚を見据えてパチンコ店員として真面目に働くようになります。
ですが、7人のうちの男友達が自殺したことをきっかけに、「俺は俺でありたい。ずっと俺でいたいんだよ」という気持ちが芽生え、突然貴子や仲間たちの前から姿を消してしまうのです……。健吾との破局の傷からようやく立ち直っていた貴子を、自分のエゴを優先して再び奈落の底に突き落とす時男。
半年後、貴子宛に届いた手紙で、一攫千金を狙ってアルゼンチンでダイヤモンド掘りをしていることが明らかに。その手紙にはいけしゃあしゃあと、「いつか、またいつか会おう。みんなで会おう。変わらぬ仲間として。愛という名のもとに…」という言葉で締められていたのには、反吐が出たものです。
「夢を捨てられない」だの「俺は俺でありたい」だの美辞麗句ばかり並べる男たちが、自分のエゴを貫くために捨てられてしまったヒロイン。清廉潔白だった女性が、クズ男たちに振り回されただけの悲劇を、男側視点のご都合主義で美談に仕立て上げたドラマだったように思います。
30年前の時代背景や価値観を踏まえると受け入れられたのかもしれませんが、もし令和の今、このストーリーを放送していたら大炎上確定なのではないでしょうか。