「ヒステリーな女」と「怒る(叱る)女」は全然違う! この違いに気づいた男性は、結婚でも失敗していないはず?
■怒られ慣れていない男たちによる「ヒステリー」の勘違い
適齢期男性が「結婚したくない女性のタイプ」として掲げる「ヒス女(ヒステリックな女)」。
キャンキャンワンワンとわめき散らしたり、意味不明な理論をタテに男性を責め立てる女は、女性の立場から見ても気分の良いものではないし、可能であれば声が届かないレベルの深い穴を掘って、そのまま埋めてしまいたくなる。
しかし、「叱らない育児」の賜物か、自分が悪いことをして怒られているにもかかわらず、相手からの叱責を「ヒステリー」とひとくくりにし、自身を顧みない男が増えていることも事実で、「ヒステリーを起こされている」ことと「怒られている」ことの違いが分からなくなっている、ダメンズが世の中にのさばっていたりする。
そもそも「ヒステリー」と「怒り」は大きく違う。
「ヒステリー」とは、古代ギリシャ語で「子宮」を意味する言葉が語源の精神医学用語のひとつで、現在では「解離性障害」という病名が付けられている。ストレスや心理的葛藤などから、失語症になったり、けいれんを起こしたり、突発的な健忘症状を起こしたり……これが本来「ヒステリー」が持つ意味だった。
しかし日本では、自身の感情が抑えられず、急にイライラして怒鳴り散らしたり、暴力を振るったり、大声で泣きわめいたりする行為が「ヒステリー」であるとされ、いわゆる“癇癪(かんしゃく)”を「ヒステリー」と呼ぶようになってしまった。
こうした“癇癪”を起こす場合は、
- 自分を愛してほしい
- 自分をかまってほしい
- 自分を認めてほしい
という認識欲求が根底にある場合が多い。つまり俗にいうところの「ヒステリー」とは、「自分が満足するための言葉や態度による暴力」であり、「自身のストレス発散のための行動」だといえるだろう。
一方、「怒り」とは、相手を思いやっての行動であることが根底だ。親が子どもを叱る場合しかり。教諭が生徒を怒る場合しかり。怒ること、叱ることで、相手を伸ばしてあげられる可能性がある場合に、相手に対して声を荒げて注意をすることが「怒り」だ。
「怒る」の語源は「起こる」であるとされる。誰か他人に対し“アクションを起こす”ことは、パワーを使う。つまり、自分のパワーを削ってまで、相手に非があることを感じさせる自己犠牲的な行為が「怒る」ということなのだ。
■“怒ることができる女性”を選べば、人生はきっとプラスに!
女性には、自己を犠牲にしても自分の子どもを守り育てようとする本能、つまり「母性」というものが備わっている。このため、男性に対しても、自身の子どもに対するように怒ってしまうことがある。これを「ヒステリー」とひとくくりにしてとらえてしまい、「文句を言わない女」に目を移すのは、はっきり言って愚策だろう。
また逆に、意味不明に癇癪を起す女性を「自分を怒ってくれる貴重な存在」と勘違いし、結婚してしまうのも、人生における最大の失敗となる。
では、「ヒステリー」な女性と「怒ってくれる」女性を見極めるには、どうすればいいのだろうか?
まずは、相手が感情的になったり文句を言い出したりした際に、彼女が吐き出す言葉を、じっくりと聞いてみる必要がある。
「ヒステリー」の場合は、先に述べたように、爆発することで単純に自分が心地よくなりたいだけなので、発言内容が支離滅裂であることが多い。また、過去のケンカをしつこく引っ張りだしてきて「あの時もあなたはこれこれこうだった!!」と蒸し返したり、「〇〇ちゃんのカレはそんなひどいこと言わないのに!!」と、こちらが知りもしないアカの他人と比較してこちらを下げてくるのも、ヒステリーな女性に見られがちな特徴だ。
こうした女性と結婚してしまうと、生涯にわたって「ヒステリー」という名の「ストレス発散」に苛まれてしまうので、結婚後の生活は確実にみじめなものになる。
逆に、どんなに口調は激しくとも、「同じことをされたら、どう思うか考えてみて」「悪いことをしたのだから、きちんと反省するべきでは? 挽回するにはどうすればいいと思う?」と、こちらに“考えること”を促してくる場合は、自分に対してきちんとパワーを使って怒ってくれる、ありがたい女性ということになる。
(注:上記のように「考えること」を促された際、「同じことされても、別に俺はなんとも思わない」「挽回なんかしなくていい」と答えるのは、小学生レベルの愚かな行為であり、彼女が抱いてくれている愛情をゼロにする行為であることは、自覚してほしい)
「ヒステリー」と「怒り」の違いを見分け、正しく怒ってくれる女性を探すこと。これが、将来幸せな家庭を築くための絶対的な近道となることを、男性諸君は決してお忘れなきよう。