かつての国民的大スター「M・Yさん」の"今"が某老舗婦人雑誌に掲載されていた件

コラム

 

率直なところ! 私は今日、この原稿を書いていいものなのかどうなのか、いつになく迷いに迷ってしまった。で、むちゃくちゃ悩んだすえ、「コレを書くことは、我々アラカン世代(=アラウンド還暦世代)としては一種の義務のようなものなのではないか!?」との強い想いがよぎり、あえて筆を取った(ノートパソコンのキーボードを叩いた)次第であった。

 

行きつけの美容室で偶然手に取った、12月1日発売の『家庭画報』1月号の表紙に、ひっそりと

 

キルトに
魅せられて
鷲沢玲子 三浦百恵

 

……なる見出しがおどっていた。その見出しには、すぐ下にある

 

草刈正雄という人生

 

……の「草刈正雄」よりも小さなフォントで、とんでもない名前が載っていた。

 

三浦百恵──そう! あの、かつての国民的大スター・山口百恵の現姓である。山口百恵をあまり知らない若い世代のため、一応の最低限だけの説明を加えておこう。

 

1972年にオーディション番組『スター誕生!』で準優勝し、翌年にデビュー。桜田淳子・森昌子と並び「花の中三トリオ」と呼ばれる。1974年には『ひと夏の経験』が大ブレイク。これをきっかけに一気にスター街道をばく進。『横須賀ストーリー』『夢先案内人』『イミテーションゴールド』『プレイバックPart2』『いい日旅立ち』……ほか、メガヒット曲を次々と生み出しながら、映画や「赤いシリーズ」として知られる大映ドラマにも多く出演。まだ人気絶頂だった1980年、結婚を理由に電撃引退。日本武道館で開催されたファイナルコンサートでは、ラストソング『さよならの向こう側』をうたったあと、マイクをステージの中央に置いたまま、静かに舞台裏へと去っていった。夫は映画『伊豆の踊子』で初共演を果たした俳優の三浦友和だ。  

 

また、引退後は一貫して芸能界やマスコミと距離を置いており、盗撮めいた“日常写真”こそ稀に報じられてはいたものの、こうした風に百恵ちゃんがメディア上に、公式的なロングインタビューというかたちで登場するのは、私が記憶するかぎりだと初めてなのではなかろうか。

 

日本キルト界の第一人者だという鷲沢玲子さんの“弟子”としてのスタンスを崩さず(前出の見出しも鷲沢さんの名前が先にある)、自身はじつに控えめに……“師匠”を立てる役回りに徹しようと努めている、なかなかにほっこり感のただよう、いいインタビュー記事であった。

 

掲載されている二枚の写真は、どれもいわゆる計算され尽くした“芸能人スマイル”ではなく、まるで“素人”のごとくに無防備な表情──おそらく「このヒトが百恵ちゃんですよ」と言われずに見たら、大半の読者がスルーしてしまうに違いない。

 

元・山口百恵としてではなく、あくまでパッチワークキルトの虜となった三浦百恵を紹介する同記事を、こんな風に“横流し”する行為がモラルとして正しいのか、それとも下衆の極みなのか……このコラムを書き進めているたった今でも、私はその判断を下せないでいる。けれど、私は私と同じころに青春をともに過ごしてきた殿方たちにこう伝えたい! 百恵ちゃんはご健在で、とても幸せそうですよ……と。

 

ちなみにこのインタビュー、ネット上でもあまり話題にはなっていないですね。さすがのネット住民の皆さまも、私と似たような遠慮が、百恵ちゃんにだけは働いてしまうのかもしれない……?

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