「はっきりと自分のことがわかっていない」発言から垣間見える、長澤まさみが到達した無我の境地

コラム

 

婦人公論のネット版『婦人公論.jp』が、女優の長澤まさみ(33)の(セミ)ロングインタビューを配信していた。長澤本人の人柄がほんのりと滲み出てくる、とてもいいインタビューだった。ご興味のあるcitrus読者さまはぜひとも↑をクリックして読んでいただきたいのだが、とりあえず私の脳裡に妙なくらいこびりついて離れなかったのは、以下のくだりである。

 

よくインタビューで「長澤さんって、どんな性格ですか」と質問されたり、演じた役柄について「自分と似ているところはどこですか」と聞かれたりするのですが、そのたびに困ってしまうんです。というのも、私はそもそも自分がどういう人間であるのか、はっきり言葉にできるほど、自分のことをわかっていないから。

 

それに、俳優は自分と異なるキャラクターを演じるのが仕事ですし、観る方にとっては本人の性格はどうでもいいことなんですよ。だったら、自分のことがわからなくても別にいいじゃないか、と思ったりもします。

 

だから「素の私」がどんなものなのかは定かではないものの、私がそのまま出ちゃっているんだろうなあと思うのが、バラエティ番組です。オンエアを見て「うわっ」と思う(笑)。アタフタしちゃって、テンポ良くうまい言葉が出てこないんです。


 一度、長澤がダウンタウンの二人+誰だかと酒の席を共にする……みたいなバラエティ番組に出演していたのを観たことがある。たしかに、お世辞にも機転の利いたリアクションをポンポンを取れるわけでもなく、いわゆる「天然」ってヤツとも微妙にバイブスが違った、まさに「のれんに腕押し」の体(てい)で、あの百選錬磨の松っちゃんですら、軽いお手上げ状態……だった印象がある。

 

もしかすると、長澤まさみという女性は長澤まさみという殻を被った、中身はなにも実態がない空洞のようなヒトなのではないか──そのバラエティ番組を観ながら、そう思った。そして、その “無我の境地” は、私は現時点で役者という仕事にチャレンジしたことはないので迂闊なことは言えないのだけれど、おそらく「俳優」としてはもっとも理想的、恵まれた資質なのかもしれない。

 

さらに、長澤は「そもそも自分がどういう人間であるのか、はっきり言葉にできるほど、自分のことをわかっていない」といった事実をわかっていながら、「仕事は俳優だから」と職業的な事情で「自分のことをわかろうとする作業」を諦め、半ば放棄している……。

 

「自分探し」とはよく聞かれる言葉だが、本気で「自分を探したい」のなら、関係の近い遠いは無視して、片っ端から周囲にいる人間をとっ捕まえ、「ねえねえ、アタシ(ボク)ってアナタの眼にはどんな風に映ってるの?」と聞き出すのが一番の早道だと、私は考える。結局のところ、自分の顔や背中は鏡を通じてでしか確認できない(=リアルには認識できない) “自分” が探し出した “自分” ほど、当てにならないものはないからだ。

 

ちなみに、私は原稿の構成上、インタビューイに自分自身について語ってもらうことがマストな場合は、「○○さんはどういうヒトなんですか?」ではなく「○○さん自身のことを自己分析してみてください」と質問する。「自己分析」というワードを差し込んだだけで、「探す」とはまた少々異なった、比較的客観的な回答を得られる可能性が高いことを経験上、私は知っている……。

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