赤い服&白いひげのサンタ像を作ったのは「コカ・コーラ」!? 世界的ドリンクになるまでの歴史とは

コラム

 

200以上の国と地域で愛されている「コカ・コーラ」。今やほとんどのコンビニ・スーパーで購入できる身近な飲料だが、その歴史については意外と知られていないものだ。今回は「コカ・コーラ」の始まりや、世界的ドリンクになるまでの歴史を紹介する。

 

 

■ひとりの薬剤師が発明した炭酸飲料は、やがてアメリカ全土へ

 

1886年5月。アメリカのジョージア州アトランタで薬剤師をしていたジョン・S・ペンバートンは、研究の過程で新しいカラメル色のシロップを完成させた。これを近所の「ジェイコブスファーマシー」という薬局に持ち込んだペンバートンは、炭酸水で割って試飲し、このドリンクに新たな可能性があると確信。この飲料こそ後の「コカ・コーラ」である。

 

ジェイコブスファーマシーで1杯5セントの価格で販売を開始した「コカ・コーラ」だったが、当初の売上は1日平均でたったの9杯ほど。だが、アトランタの敏腕営業マンであるエイサ・ G・キャンドラーが権利を買収し、「コカ・コーラ カンパニー」を設立したことから、状況は一転する。

 

キャンドラーの販促活動が功を奏し、「コカ・コーラ」は販売網を拡大。1895年にはアメリカ全土で「コカ・コーラ」が購入できるようになり、1906年には国外に瓶詰め工場を建設するまでに成長した。

 

 

■オリンピック、サンタクロース…存在感を増す「コカ・コーラ」

 

1923年にアーネスト・ウッドラフが社長に就任。1928年に開催されたアムステルダムオリンピックでオリンピックへの支援を開始したことで海外へのアプローチを行い、ますます知名度を上げていったのだという。

 

1931年にはクリスマス・キャンペーンとして、赤い服と白い髭のサンタクロースのイラストが描かれた雑誌広告を掲載。この「コカ・コーラ」のサンタクロースこそが、今日に至るまでのサンタクロース像を決定づけたと言われている。

 

「コカ・コーラ」が世界へと爆発的に広まったのは、第二次世界大戦の後。世界中から羨望の眼差しを向けられるようになったアメリカ文化の象徴として「コカ・コーラ」が注目を浴び、販売される国の数が増加していったのだ。

 

 

■「コカ・コーラ」の日本デビューは大正時代! 戦後に庶民へも浸透

 

「コカ・コーラ」が日本で販売を開始したのは、なんと大正時代。それを示すように、1914年に発表された詩人の高村光太郎の作品「狂者の詩」には“コカコオラ”と記され、1919年に輸入商社の「明治屋」が発行したPR誌「嗜好」には「コカ・コーラ」の広告が掲載されている。

 

発売当初は贅沢品とされていた「コカ・コーラ」が庶民にまで飲まれるようになったのは戦後のこと。終戦からわずか2か月後に日本支社が横浜に発足し、1952年までに瓶詰め工場が6箇所に設置されて国内生産を開始。当初は進駐軍向けに販売されていたが、輸入自由化の流れを受けて1960年代から一般の消費者に対しても広がっていった。
 

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