ツイッターの「よくないね(dislike)」ボタン導入の可能性を個人的な目線のみで考察してみた

コラム

 

 

SNSのなかでも、おそらくもっともポピュラーに利用されているであろうTwitter(ツイッター)に、「よくないね(dislike)」ボタンが導入されるかもしれない……らしい。

 

11月25日、朝の情報番組『グッとラック!』(TBS系)では同テーマに関する特集が組まれ、男女200人を対象にしたアンケート調査を敢行。

 

Q.ツイッターの「嫌いボタン」はアリ? ナシ?

 

……といった質問に対し、

 

アリ:47.5%

ナシ:52.5%

 

……との数字が弾き出された。この結果を鑑みて、メインMCを務める落語家の立川志らく(57)は、

 

「こんなに拮抗しているとは思わなかった。世の中すさんでるな」

 

……と感想を漏らしたのち、

 

「たしかに、信ぴょう性、フェイクニュース(の見極め)につながるってのはわかるが、そのために善良な市民がなぜ嫌な思いをしなくちゃいけないのか。ヘイトを書くやつらは人間の心を失ったやつらだから『嫌い』がつくと余計に興奮してどんどんやるようになる。抑止力にはつながらないと思う」

 

……みたいな理由で「導入反対」の姿勢を示していた。

 

私も過去、ホンの数ヶ月ほどだけツイッターをやっていたことがある。「自分の書いたコラムを自身で採点する」といった自己完結型のほのぼのしいスタイルで、フォロワーも200人程度……と、こじんまりした内輪受け的なものでしかなかったのだけれど、それでも一度、アップしたコラム中にジャニーズ関連のちょっとした誤記があって(※『SixTONES』や『SnowMan』の命名者は故・ジャニー喜多川さんではない…と書いたところ、じつはジャニーさんの命名だった)、けっこうな炎上状態となってしまった、苦い経験がある。

 

そりゃあ、間違った私が100%悪いのは当たり前なのはわかっている。が、まったく見知らぬ人たちから「プロ失格」だの「謝罪しろ」だの(※実際、ちゃんと謝罪コラムもここcitrusに寄稿した)「バカ」だの「阿呆」だの……と、けちょんけちょんに叩かれ、元来そこまでハートが強くない私は以降、ツイッターは「見る専(=見るだけ専門)」のツールとして利用するだけで、投稿は一切やめてしまった。

 

私は正直申して、立川志らくによる一連の社会的発言には、総じて「古臭さ」を感じてやまないのだが、今回の「ツイッターのよくないねボタン導入」問題にかぎっては、立川志らくとまったく同意見、「ナシ」だと声を大にして主張したい。

 

だって、SNSとは、あくまで極私的な、微笑ましいプライベートを控えめに自慢する場ではなかったのか? 少なくとも私はそう思っている。なのに、それに対してネガティブな意思を、より自由かつ気軽に明確化できるシステムってえのは、どうなのよ? まあ、それが嫌ならやらねばいいだけの話なんですけどね。やっぱり、私には自分が選んだ「友だち」のみに囲まれ、そんな彼ら彼女らが愛のある「いいね!」ボタンをプッシュしてくれるFacebookが一番性に合っている?

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