結局は誰も化調が人体に有害だとは証明できていない?「化学調味料愛好会」発足!

コラム

 

今年59歳になる。高校生のころまでは、卵かけご飯から、うどんや蕎麦、おひたしに炒め物まで…とにかく、醤油で味付けしていた料理には何でもかんでも味の素をぶっかけていた。ハンバーグだとかカレーだとかにもかけていたかもしれない。

 
ところがある日、突然山田家の食卓から味の素が消えた。当時から、とくに健康に関してはご近所さんとの立ち話レベルの怪しい風説にさえすぐ左右されがちだった母が、どっかから「化学調味料はカラダに悪い」との噂を聞きつけてきたからだ。そして、その化調を“非”とする論調はいつしか「怪しい」「風説」の域を通り越し、次第に世間一般の“スタンダード”となっていった。おそらく、化学調味料に関していえば、私くらいの年代の人たちは、似たような時系列が想い浮かぶのではなかろうか。

 
だが、近年…この「化調=カラダに悪い」説は覆されつつあり、昨今は「振りかけただけで簡単に美味しくなるのに、なんで使わないの?」といったサジェスチョンが新しい常識と成り代わりはじめているようだ。たとえば、私が愛読する、去年ドラマ化もされた珠玉のラーメンビジネス漫画『らーめん才遊記』(小学館)で、カリスマラーメン評論家の・有栖涼は以下のように語っている。

 
確かに化学調味料は、その有害性を疑われ、いろいろと論議された時期があります。

 
しかし結局は、誰も化学調味料が人体に有害であるとは証明できなかったんですよ。

 
私は神様じゃないので、(これから有害だと証明される)リスクがゼロと断言はできません。

 
しかし、国連の国際食料農業機関(FAO)と世界保健機関(WHO)の合同による食品添加物専門家会議(JECFA)は、グルタミン酸ナトリウムなどの化学調味料の安全性に太鼓判を押しています。

 
食品添加物にもいろいろありますが、少なくとも化学調味料に関しては安心していいんじゃないかとは思いますけどね。

 
そんなこんなで私は今、『化学調味料愛好会(カチョーラバーズ)』という名のサロンのようなものに参加している。とりあえずはnoteを使って「化調の素晴らしさを公(おおやけ)へと啓蒙する」だけの地道な活動ではあるのだけれど、メンバーは下関マグロさん・西益屋ハイジさん……など、“その道”に関しては(どの道w?)一家言ある頼もしい“仲間”が顔を並べている。

 
きっかけは、ある晩秋の昼下がりであった。他に客のいない町中華屋の一隅でテーブルを囲んでいた4人のライターは、コロナ対策の換気のため開け放たれた窓から吹き荒ぶ風に肌を刺されながら、おたがいに体を震わせつつ、ビールが注がれたコップを傾けていた。早い・安い・うまいの町中華ゆえ、チャーハン、餃子、ワンタンメン……と、力強い湯気を上げる“いかにも”な料理が続々と運ばれてくる。箸と蓮華が所狭しと交差する食卓で、ふとマグロさんがこうつぶやく。

 
「町中華のうまさってさ、カチョーのうまさでもあるよねえ」

 
すると、今年はコロナの影響で渡航できていないものの、本来は1年のうち1〜2ヶ月はタイで過ごすのがルーティンであるらしいハイジさんがこう返す。

 
「タイ料理のうまさも、かなりカチョーですよ」

 
なんでも、タイやベトナムをはじめとする東南アジアの国々では、日本人に出会うと、リスペクトの念を込めて「OH! アジノモト〜!」と第一声をあげてくださるケースも少なくないんだとか……。

 
『らーめん才遊記』の有栖涼の言を受け、ここ数年は自炊した料理には片っぱしから味の素をふりかけまくっている私も、そんな一連の盛り上がりへと大いに同意──これが“結成”のいきさつである。

 
だがしかし!「化調の素晴らしさを啓蒙する」のはいいが、その啓蒙のためのビジュアルをどうするかが、意外とむずかしい。現状では「つくった料理の横に味の素を置いた写真」を載っけるだけ……。そこらへんの課題を今後いかに解決していくかが、目下の悩みどころ……なのであった。

 

 

 

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