『グッとラック!』を降板し、“コメンテーター”として復活を果たした立川志らくの鋭さを増した斬れ味

コラム

 

『スポニチAnnex』によると、落語家の立川志らく(57)が4月26日から、ラジオ番組『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』(ニッポン放送)に、太平洋横断の旅へと出発したキャスターの辛坊治郎氏(64)の代わりに、期間未定で月曜日の助っ人パーソナリティーとして生出演しているという。そして、東京都に緊急事態宣言が発令された4月25日、東京寄席組合、落語芸術協会が「寄席は社会生活の維持に必要なもの」として、都内4寄席での公演を感染防止策を万全に行なったうえで、通常通り継続する旨を発表したことについて、次のようにコメントした……らしい。

 

 
「(寄席は)せいぜい入って200〜300人ですよ? 半分にしてやって100人ちょっとが移動するだけのことだし。この強行突破のニュースは英断と言えば英断。よくぞ言ってくれたなと…」

 
「ただ、一つ引っかかるのは、理由が嫌なんです。社会の存在意義、社会にとってとても必要だ。だから寄席はやるんだ! と組合から発表があったんですよ。よくそういうことを言うなあと思ってね」

 
「エンターテインメントは必要な人にとっては必要。必要じゃない人にとっては全然必要じゃない。じゃあ必要じゃないなものって何なの? ってことになってくるじゃないですか」(無駄なものに命をかけてやっていることが落語家のプライドであり、それが“粋”でもあるとしてから)「なのに、真正面から『社会生活において必要です』って言うと、イケメン俳優が出てきて『僕カッコイイですよ』って言っているようなもの。それは言っちゃいけないだろう」

 
一言一句、微修正するスキもないほど、この志らくの見解には賛同する。このニュースをはじめて耳にしたとき、私はなんとな〜く、奥歯にモノがはさまったような違和感を感じたわけだが、志らくサマのおかげでスッキリしました! そう、落語界が淀みなく断言する「寄席は社会生活の維持に必要なもの」というくだりにただよう一種の特権意識とも捉えられかねない“上から目線”が私には受け入れ難かったのかもしれない。

 
正直申して、寄席がなくなっても私の社会生活の維持には1ミリの支障もない。私にとっては阪神タイガースが無観客のなか試合を行わなければならないことのほうがずっと大問題だったりする。甲子園でのトラ党の応援を失い、選手らが調子を崩してしまい首位から陥落してしまうのではないか……と? あと、あえて付け加えさせていただくなら、世田谷区の野球グラウンドが宣言期間中はすべて使用中止になったのも痛い。せっかくゴールデンウィーク中に組んでいた4試合がどれも流れてしまったのである。

 
いっぽうで、野球なんかどうでもよくて、寄席が閉鎖されてしまうことに日々の充実度を左右されてしまう層も、当たり前のこと間違いなく実在する。漫才もJリーグも宝塚も秋葉原の地下アイドルも同様で、マスの大小や伝統の有無は関係ない。早い話、落語界を仕切る方々には、

 
「娯楽は社会生活の維持に必要なもの。だから演芸の一環である寄席は緊急事態宣言中も通常通り公演を継続する」

 
……と、言ってもらいたかったのだ。

 
それにしても『グッとラック!』の降板が決まったころから、志らくの発言がぐんと斬れ味を増している……と感じるのは、はたして私だけであろうか? やはり志らくには「MCとして場を回す役」より、「暴言扱いされることも恐れない急先鋒的コメンテーター役」のほうが似合っている……?

 

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