ひろゆき氏の一人称は「おいら」!? それを使う勇気と、第三者に与える印象について、ふと考えてみた…

コラム

 

日本の匿名掲示板として圧倒的な存在感を誇った『2ちゃんねる』や動画サイト『ニコニコ動画』などを手掛け、現在も英語圏最大級の匿名掲示板『4chan』の管理人などを務める、ひろゆき氏が「ラクしてうまく生きる方法」について語っているインタビュー記事を、『DIAMOND online』が配信していた。おおよそでは、

 

 おいらは、おすすめの本を聞かれると〜

 
……という “自問自答” を冒頭のフックとして、

 

 ヨーロッパやアメリカが世界を席巻しているのは、横に長いから。大陸が横に長いと、小麦とか米とか芋とかトウモロコシとか多種の穀物が獲れるよね、牛とか羊とか馬とか家畜もたくさん種類がいるよね、という差がだんだん大きくなっていって、(縦に長い)南米やアフリカ大陸が太刀打ちできない文化を作った。

 
……みたいなことが書いてある(らしい)『銃・病原菌・鉄』なる書籍を挙げ、

 

 「じゃあ、人類の努力とか、ほぼ無意味だよね」「だったら、長期的にラクに得する選択肢を選ぶクセをつけたら、人生も変わっていくのでは?」

 
……といった結論を導き出す流れで、私個人としても同感できる部分が少なくない、なかなかに読みごたえのある内容であった。

 

もちろん、上から目線の断定的な傲慢さも一切感じさせない、いつもの飄々としたソフトな調子で──にもかかわらず、どことな〜く喉に小骨が引っかかったかのような異物感が……? なんで??

 
そう! その “微妙さ” の正体とは……「おいら」にあった!!

 
漢字で表記すれば「己等」「俺等」。『ピクシブ百科事典』によると、

 

 
「主に男性が使う一人称の一つ。元々は関東の方言であり、近世江戸では女性も用いた」

 

……と解説されている。


「おいら」使いでならす著名人として、まず頭に思い浮かぶのはビートたけしである。あと、最近は吉高由里子もSNSなどで時おり自分のことを「おいら」と表記していると聞く。そして、私は別にビートたけしのことも吉高由里子のこともひろゆき氏のことも決して嫌いじゃない(※吉高由里子はむしろ大好き。結婚してください!)けれど、一人称を「おいら」で通す “原稿” に関しては、どうも昔から生理的に苦手だったのだ。

 
「苦手」の理由は判然としない。かつて某ライター&編集者養成講座で講師をしていたとき、「エッセイとかで『おいら』という一人称を使うのはやめましょう」と指導すらしていたこともあったが、その根拠を如何なる風に語ったかは覚えていない。

 
関西人として、いかにも江戸風なべらんめえ口調が肌に合わないのかもしれない。「下品」「貧乏くさい」とのイメージがゴメス脳を支配しているのかもしれない。そして申すまでもなく、これらが客観的な反論を持たない、単なる “インネン” でしかないことに間違いはない。

 
おそらく、「生理的に苦手」としか表現できないほどに、「おいら」が第三者に与えるインパクトが強烈なんだろう。コラムやエッセイにかぎらず、メールやLINEやツイッター……ほか諸々、あらゆる文をしたためる際、どの一人称を選ぶかはとても重要なポイントになってくる。極論「自身の“ひととなり”を決定づける分かれ目となる」と言っても過言ではない。仮に「私」だとか「僕」だとか「俺」といった最大公約数的な一人称を選んだとしても、それを漢字表記にするかカタカナにするか、あるいは平仮名にひらくか……だけでも、ずいぶん印象が変わってくる。

 
ただ、星の数ほど実在する著名人のなかでも、「おいら」を選択する者がここまで稀だということは……日本人の大半が「おいら」負けしてしまうことを直感的に認識しているからなのではなかろうか? はたして「おいら」に勝てる人間がどのようなタイプなのかは見当もつかないが、いずれにせよ、迂闊に使うべきではない破壊力を秘めていることだけはたしかであるようだ?

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