「ガッキーロス」へと陥ってしまった人たちは、一体どういった種類の「ロス感」に苛まれているのか?

コラム

 

「ガッキー」こと女優の新垣結衣(32)との電撃結婚を発表した歌手兼俳優の星野源(40)が5月25日深夜、ラジオ番組『星野源のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)に出演。リスナーに肉声で結婚報告を行った。

 

そして、トップ女優の突然なる結婚騒動によって、早くも「ガッキーロス」的な風潮が蔓延しつつある昨今の日本について、翌26日に放送された朝の情報番組『めざまし8』(フジテレビ系)が特集を組み、その日コメンテーターとして出演していた初代スポーツ庁長官の鈴木大地氏(54)が、

 

 「『ロス』とかっていうのは、たぶん自分がその人と結婚できると思ってたんですかねぇ?」

 

……とコメント。そのあまりのド直球っぷりに、たまたまリアルタイムで同番組を観ていた私は不覚にも(?)失笑を漏らしてしまった。

 

前出の発言に対し、MCの谷原章介(48)は「誰にも渡したくなかったんじゃないですか?」と無難なフォローを入れ、一応鈴木氏も「あっ、そういうことですか! なるほどね〜」と納得をなされた様子であったが、私は鈴木氏がつい口に出さずにはいられなかった "素朴な疑問" に、ちょっぴり同意の念を抱いている。

 

たしかにガッキーはむっちゃ可愛いと思う。思うけど、しょせんは1ミリの面識もない赤の他人じゃないですか。自分が結婚できるはずもカノジョになってもらえるはずもない女性が、やはり1ミクロンも面識のない赤の他人(=星野源)と結婚したところで、「ロス」な気分にはどうしても浸ることができない。まだ私が思春期真っ只中だったころ、大好きだった山口百恵が三浦友和との電撃結婚を発表したときでさえ「百恵ロス」状態にまではならなかった。自分の元カノが別の男性と結婚してしまった……という風の噂を耳にしたときのほうが、ずっと「ロス」だった──はたして、ガッキーが結婚したことによって「ガッキーロス」へと陥るヒトたちの、メンタルとはどういうたぐいのものなんだろう。

 

私なりの推測を立てるに、おそらくはこういう感じのことなのではないか?

 

「誰のものでもない」が「誰かのものになる」ことこそが「ロス」の原因であり、「俺のものにはならない」ではない。

 

つまり、「誰かのものになる」と「俺のものにはならない」の間に「イコール」が成立しないのが「ファン心理」ってヤツで、そこが従来の恋愛感情とは微妙に食い違っている部分だという理屈である。そう考えれば、私が抱いた(あるいは鈴木大地氏が抱いた) "素朴な疑問" もすっきり解消する。

 

あと、さらに付け加えるなら「誰かのものになる」と「俺のものにならない」を「イコール」で結べるような妄想を掻き立てる "身近さ" を売りに一つのビジネスケースを確立したのが、「会いに行けるアイドル」なるコンセプトで一時期は芸能界を席巻したAKB48グループ……なのかもしれない。

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