前に散々批判してしまったスケボーについて…今日はその「素晴らしさ」のいくつかを挙げてみよう!

コラム

 

ほんの1週間ほど前、私は『東京五輪で日本人メダリスト続出の「スケボー」は「競技」として拡散すべきなのか、「文化」として浸透していくべきなのか?』なるタイトルの、どちらかと言えば(ってよりはけっこう露骨に?)スケボーに対して批判的な論調のコラムを寄稿させていただいた。過去に経験した

 

 
私は一度“路上スケボー男”に衝突されて、病院に行かねばならないレベルの怪我を背中に負った経験があるからだ(※ちなみに、その路上スケボー男は信じられないことに「チッ」という舌打ちと「ボーッと歩いてんじゃねえよ!」と捨て台詞を残し、すい〜っと去っていった)。さらには、昔住んでいた自宅の隣に公園があって、そこには毎夜、スケボー少年たちが集い、ゴ〜ガラガラガタンゴ〜ガラガラバタンと深夜まで耳障りな規則正しい雑音がリフレインされ、軽い不眠症になったこともある。

 
……といったトラウマがまだ払拭しきれないがゆえ、つい文言も激しめになってしまったわけだが、私はなにもスケボーを全否定しているわけではないってことだけは、一言お断りを入れておきたい。

 
たとえば、8月4日に行われた東京五輪の「スケートボード・パーク女子決勝」をたまたまテレビで見かけたときの一幕──劣勢だった15歳の岡本碧優(みずく)選手が、最終3本目も果敢に難トリックにチャレンジしたものの惜しくも失敗に終わってしまい(※総合結果は4位)、その場で泣き崩れる。すると、直前まで決勝を戦ってきた各国の選手たちが駆け寄ってきて、彼女を肩車しながらその全力を尽くしたパフォーマンスを称賛し、場内は拍手喝采。岡本選手の表情からも思わず笑みがこぼれる……。

 
もはや「スポーツの名を借りた国家間の代理戦争」にも化しつつあるオリンピックの舞台においては奇異に感じる人間模様なのかもしれないが、ネット版の日刊スポーツによると、ことスケボーの世界では決して珍しくはない光景なのだという。

 

 
スケートボードに国境はない。もともと国という意識は薄い。プロツアーでも、Xゲームでも、選手は個人で参加する。国歌もなければ国旗もない。国を意識することもない。

 
(中略)スケートボードに順位はない。より上位を目指すのがスポーツだが、スケーターにその意識は薄い。もちろん、結果としてのメダルは求めても、最終目標ではない。岡本は金メダル狙いで大技をやったのではという質問に反論した。「目標は金メダルではなく、自分のルーティンをすることでした。だから、仲間たちはその挑戦をたたえた」

 
これがスケボーをはじめとするサーフィンやBMXフリースタイルなどの、いわゆる「エクストリームスポーツ」の常態的なスタイル、カルチャーなのだ。

 
国を背負って順位を熾烈に争うオリンピックには不向きな“競技”なのでは……という声もよく耳にする。しかし、私は「スポーツは国境を越える」「参加することに意義がある」といった、オリンピックが本来は大前提としている(はずの)基本理念をリアルに体現している数少ない種目として、今後もエクストリーム系の新規参入は不可欠である……と考えるのだが、いかがだろう?

 

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