松本人志の「相方を笑かすことが面白い」発言を、我々文筆業者に当てはめてみると…?
お笑いコンビ『ダウンタウン』の松本人志(57)が8月22日、『ワイドナショー』(フジテレビ系)に出演し、後輩のお笑いコンビ『雨上がり決死隊』の解散をめぐって、自身の“コンビ論”を展開していた。そのおおよその流れは以下のようなものであった。
松本が「笑いの優先順位ってあるじゃないですか?」と切り出し、「観客や視聴者を笑わせること、さらに共演者を笑わせることが大事」と説明しつつ、「でも僕はねぇ…それはそれとして相方を笑わせることが面白い。相方を笑かすことがうれしいとかそんな次元じゃなくて、“浜田が俺の言ったことで笑ってること”がオモロいんですよね」とコメント。続けて「それでいくと、宮迫はどっかで、もともとそうやったのか、途中で何かきっかけがあってそうなったのか、そういう価値観が、優先順位が違ってきたんやろうなぁ…。(すなわち)宮迫が蛍原のほうを見てなかったのでは…」と指摘した。
この松本による「相方を笑かすことが面白い」発言、私なんぞが同列に並べて語るのもおこがましいのだけれど、すっごくわかる気がした。つまり、松本にとっては、自身の言動が「面白いか・面白くないか」のセルフジャッジを下すにあたって、一番信頼できるバロメーターが「相方・浜田雅功のリアクション」ってことなんだろう。
これを私の「文筆業」という職業に当てはめて考えてみよう。私の書いた原稿を「面白い」と思わせなければならない対象とは……当たり前だが、まずは「読者」。で、次に「版元」「編集長」「デスク」……と続いていく。だがしかし、私の原稿を確実に隅から隅まで読み込んで、対面のダイレクトなかたちでなんらかのリアクションを示してくれるのは、ほかならぬ「担当編集者」だ。
私は基本、そこまで強いハートの持ち主ではないゆえ、ネット上でのエゴサーチは一切しない。言い換えれば「一度校了してしまった原稿は投げっぱなし」なヒトなので、一冊の書籍を書き上げたなら売り上げ部数などである程度は反響の予測もつくものの、正直申して一本の記事やコラムに抱かれた「読者の感想」は、ほとんど把握していないし、積極的に把握したいとも思わない。「版元」や「編集長」や「デスク」から漏れ聞く評判も、私みたいなベテランだと適当な“おべんちゃら”でお茶を濁されるケースもままあったりして、今ひとつ信用できない。
……となれば、「面白いか・面白くないか」のセルフジャッジを下すにあたって信頼できる唯一のバロメーターはやはり「相方」──私だったら「担当編集者」ってことになる。しかも、私の約30年間の文筆経験から断言すると、10年に一人くらいの確率で「全幅の信頼をおける、かけがえのないパートナー的な編集者」とは必ず出会うことができる。30代では幸運にも二人いた。40代でも一人いた。50代でも一人……またもちろんのこと、彼ら四人とは今でも仕事を共にする仲であり、その彼らから執筆依頼をされると、おのずと気合が入り、(あくまで主観ではあるが)良質な原稿に仕上がることが多い。
迂闊に凡庸な原稿を入稿でもしたものなら、「どこらへんをどんな風に手抜きしたか」を、たちまち見透かされてしまう長い関係なので、そんなときは容赦ない罵詈雑言が返ってくる。そう! 私は彼らだけに「相変わらずゴメスさんの原稿、面白いっすね〜」と褒められたいのだ。そして、彼らさえ褒めてくれたら、仮に世界中のネット住民が「つまらない」とジャッジしても、私は全然へっちゃらなのだ。くどいようだけどボク……エゴサーチは一切しませんしね(笑)。