「SNS疲れしないための方法」なるマニュアルが存在すること自体、本来はあり得ないと思う件について

コラム

 

女性向けコンサバ系ファッション情報誌『with』が運営するネットサイト『with online』が『急増する「SNS疲れ」の原因。疲弊しない上手なSNSとの付き合い方』なるタイトルの記事を配信していた。とりあえずは、ここに提言されている「原因」と「付き合い方」ってヤツをかいつまんで、以下に説明しておこう。

 

 
「原因」は、

 
(1)   所属と愛の欲求(=自分もコミュニティの一員である、他人に嫌われたくない…と感じる欲求)

(2)   承認欲求(=他人から認められたい、尊敬されたい…と感じる欲求)

(3)   自己実現の欲求(=自分の理想とする人になりたい…と感じる欲求)

 

……という3つの「欲求」がSNSによって肥大化し、その過剰な主観性がマインドを必要以上に翻弄してしまう……から。

 

ならば、そのSNSとの「付き合い方」は、

 
・他人と比較しない

・自分軸を意識する

 
……のが大切。

 

つまり、SNSは自己満足でかまわない……いや、むしろレスや「いいね」の数にこだわりすぎるあまり“作品”を“つくりこむ”のではなく、自分が発信したいことだけを“まんま”、ワガママに投稿すべき……ということだ。

 

まったくもって、そのとおりだと思う。グーの音(ね)も出ない、完ペキなマニュアルだと言えよう。こんなにも当たり前のことを、なぜ多くのヒトたちが当たり前のように実践できないのか……私は正直なところ不思議でならない。

 

そもそもSNS、ソーシャルネットワーキングサービスとは、あくまで「自分のために在るもの」で、「外に向けて配信する」という特性を考慮したうえでの最低限のコンプライアンスさえ守りさえすれば、

 

「他人がどう見ようと言おうと知ったこっちゃない」

 

……といった前提のもとで付き合うのが本来……じゃないのか?

 

自分のセレブでエキサイティングな毎日を自慢したいなら存分に自慢すればいい。ラーメンが趣味ならラーメンのブツ撮り写真だけをズラリ並べればいい。写真が趣味ならキレイに撮った風景写真を……100も並べばそれだけでも圧巻な「俺ラーメン図鑑」や「My写真集」が完成する。それらに「いいね」を押してくれる共感者が一人でも十人でもいたら嬉しさも倍増──そういう世界ではないのか?

 

私が懇意にしている、とある女性は「自分が行ったお気に入りの喫茶店の凝ったモノクロ写真(※珈琲のみカラーに変換)を、トイレ情報付き」で気まぐれな頻度で投稿している。時には半年近くも更新されない期間があったりもする。地味ではあり、フォロワーも30人程度だが、じつに好感度の高い“写真集”であり、これらを見たら実際に「今度行ってみようかな…」みたいな好奇心さえも掻き立ててくれる。

 

私が利用しているSNSはFacebookとInstagramの二つで、フォロワーはどちらもあたたかい眼で私を見守ってくれている“味方”オンリー──自分でつくった料理、外食した美味しい料理、野球、旅先での非日常な風景……ほか、物の見事に統一感はゼロで、SNSに精通した“上級者”からは「テーマもビジュアルのテイストもバラバラじゃないですか! これじゃあフォロワー数増えませんよ」と、よく指摘される。

 

でも、それで私は全然かまわないのである。先鋭的な問題提起を、たとえばTwitterのような“荒野”へと放つつもりなんぞ、さらさらない。私のことを褒めてくれるだけのヒトたちのみが集まったヌクヌクとしたぬるま湯な環境で、ちょっとだけ他所行き(よそゆき)の自分を見てもらうだけで私は十分に満足なのだから……。

 

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