絶対に存在しないとは言い切れない? 「純愛の不倫」が成立しうる条件を考えてみた

コラム

 

「オトナ女子、恋と性を磨く」をキャッチフレーズとする女性向け情報サイト『コクハク』が、「純愛の不倫は存在するのか?」について考察する主旨の記事を配信していた。

 

この『コクハク』なるメディアは、あの『日刊ゲンダイ』を擁する『株式会社 日刊現代』が運営しているのだが、そのライティングの多くを担っている「ライター女子部」と名乗る謎の集団がよほどの精鋭ぞろいなのか、有象無象の恋愛系サイトが打ち出すハウツーの隙間を突いた着眼の、なかなかに興味深いテーマである。

 

ちなみに、今回アップされていた記事は、かいつまめば

 

「不倫には純愛はない」

 

……と、断言的に結論づけており、その理由として

 

(1)人に言えない

(2)そもそも配偶者がいる

(3)見返りを求めている

(4)体の関係がある

(5)相手より自分の気持ちを優先する

 

……の5つを挙げ、「私たちの不倫は他の人たちの不倫とは違う」「出会う順番が早かったら」……などと自身の不倫 "だけ" を「純愛」だと激しく見なしながら底なしの沼で藻掻(もが)くカップルに対し、警鐘を鳴らす流れとなっている。

 

たしかに、これはこれでじつに鋭い指摘だと言える。だがしかし! 今回にかぎっては、タイトルを見てイメージした内容と少々違っていた。そもそも「純愛」とは、一体どんなたぐいの「愛」のことを指すのだろう? ウィキペディアには

 

邪心のない、ひたむきな愛。定義としては「その人のためなら自分の命を犠牲にしてもかまわないというような愛」「肉体関係を伴わない愛」「見返りを求めない愛(無償の愛)」などがある。

 

……とあった。そして、世間一般の大半的な解釈としては「肉体関係を伴わない愛」、すなわち「プラトニック・ラブ」こそが「純愛」のマストとなっているのではなかろうか? つまり、私は「肉体関係を伴わない不倫」の是非を問う内容の記事だとばかり思い込んでいたのだ。

 

どちらかに、もしくはおたがいに配偶者がいる男女が恋に落ちる可能性はもちろんのこと、充分にあり得る。また、その二人が双方の恋愛感情を狂おしいほどに認識しつつも、そのどうにもならない "現実" を鑑みておたがい、あるいはどちらか片方が「あと一歩」を踏み出すことに躊躇し、結果としてたまに食事をしたり飲みに行ったりするだけのプラトニックな関係にとどまっている……というケースもあり得なくはない。

 

これを「エッチはしてないからセーフ(=浮気じゃない)」とするのか「エッチはしていなくても心は奪われているのだからアウト(=完ペキに浮気)」とするのかは、相当にデリケイトな境界ではあるものの、「肉体関係」という絶対的な浮気の "証拠" となる段階には到っていないため、少なくとも外面(そとづら)のみをなぞれば

 

「純愛の不倫は成立する!」

 

……との理屈を強引に押しとおすこともできなくはない。

 

ただ、これに

 

「じゃあ、キスや手をつなぐのはアリなのか?」

 

……という "グレーソーン" を加えると、話はいささかややこしくなってくる。ゴメス個人としては、やはりソレは「プラトニックじゃない」と考える。したがって、

 

「どちらかに、もしくはおたがいに配偶者がいる男女が粘膜の交換をしない恋愛関係」

 

……だけを、私は「純愛の不倫」だと認定したい。

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