「外見」>>「年収」「学歴」!? 昨今の婚活市場に起こっている変化の要因に思わず納得
昨今の婚活市場において、とくに女性のあいだでは「年収」や「学歴」より「外見」を重視する傾向が高まりつつある──そんなことが書かれた記事を『文春オンライン』が配信していた。
同記事に登場する、神戸にある結婚相談所『結婚物語。』でチーフアドバイザーを務め、Amebaブログで「公式トップブロガー」にも認定されている「仲人Tさん」は、こう語る。
「女性が、男性の見た目を以前より気にするようになった」
これは、結婚相談所で働くスタッフの多くが感じている傾向ではないでしょうか。
(中略)(昭和のころは)婚活に限らず、男女がデートしたら男性が奢るのが当然で、女性は文字通り「食べさせてもらう立場」でした。
それが平成になると様子が変わってきます。平成12年(西暦2000年)以降になると専業主婦は半分以下になり、働く女性がどんどん増加していきました。それにつれて、社会の構造も男性社会から男女平等の社会へと変わっていきます。
「男勝りの女性」が「女を捨てて」「男性より頑張って」やっと出世を手に入れることができた昔と違い、自分を美しく保ちながらバリバリ働いている女性が圧倒的に増えてきたのです。
そうなると、ある程度稼いでいる女性は「男に養ってもらう」必要がなくなります。
(中略)(こうした時代の流れで)男性が「専業主婦希望は無理、共働きしてね」という意識を持つようになった分、女性も「食べさせてもらえる訳じゃないんだから、イケメンがいい」という発想になってきているのです。
なるほど、仮に私が婚活に励む結婚適齢期の女性だったとして、男性に求める「年収」「学歴」「外見」という3つの条件のなかから一つだけを選ばなければいけないとしたら……やっぱ、自分も「外見」をチョイスする……と思う。
まず、「学歴」は論外! そりゃあ、官僚や財閥系(※←半死語?)の超一流企業あたりでは「学閥」的なものがまだ残っていて、「どこの大学を出たか」が大なり小なり出世に影響を及ぼす……との噂も聞く。しかし、少なくとも私が属している文筆の世界では「学歴」なんて屁のつっぱりにもならない。東大卒だとかオックスフォード大学卒(※「中退」も可)クラスのインパクトがあれば話は別だが、ワセダやケイオーやカンカンドウリツ程度じゃ、雑談で「ゴメスさんはどこ大学出身ですか?」「関大です」「ふ〜ん…そーなんだ」でおしまい──せいぜい会話の間を数秒、もしくはプロフィール欄の文字数を10ワード弱埋めるくらいの役にしか立たないのだ。
次に「収入」だが、コイツもじつに不安定な要素でしかない。だって、20代〜30代の段階で人並み以上に稼いでいたとしても、これからなにが起こるかは全然不透明じゃないですか!? 会社が倒産しちゃう可能性もあるし、仕事上で解雇や左遷レベルの致命的なヘマをやらかしてしまう可能性もある。それこそ大病を患ってしまう可能性だってなくはない。「今宵のデート相手」ならまだしも、(原則として)これから何十年ものお付き合いになる予定の結婚相手を探すなら、収入の「多さ」より「そこそこの安定感」に、むしろ目を向けるべきなのではなかろうか。
対して「外見」は、「学歴」よりは流動的で「収入」より絶対的な要素である。しかも「外見」には意外といろんな情報も詰まっている。たとえば、イマドキだと好感の持てる外見をキープするには「そこそこの安定した収入」は必須だし、外見を磨くためのストイックかつマメな性格……とかも透けて見える。さらに、なによりも高学歴や高収入と比べて「優れた外見」は瞬発的に、わかりやすく周囲から羨ましがってもらえたりもする。
「ダンナさん、ソルボンヌ大学出てていいわね〜」
「ダンナさん、お金がいっぱいあっていいわね〜」
「ダンナさん、イケメンでいいわね〜」
……と、これらのなかで一番しっくりとくるのがどれなのかを考えれば一目瞭然! 「イケメンは三日で飽きる」とはよく言うが、この手の常套句はイケメンをゲットし損なったヒトたちによる "希望的観測" が生んだ幻想なのかもしれない。