SNSが全盛である今の時代、もはや真性の「サバサバ女子」は絶滅の一途をたどるしかないのだろうか?
ネット版の『CLASSY』が『【SNSで鬼投稿】自称サバサバ女子に「絶対に言ってはいけない一言」』なるタイトルの記事を配信していた。
最後まで読んでも、じつのところ「絶対に言ってはいけない一言」がなんだったのか、私にはよくわからなかったのだけれど(笑)、かいつまんで説明すれば、
筆者である、インスタグラムでも人気なイラストレーター「@comorava19」さんの女子校時代の同級生だったKさん(33歳・主婦)は、当時はボーイッシュな雰囲気で頭の回転も速く、成績優秀。現在はフランス人の夫と海外移住しており、@comorava19さんにとってはバリバリの「サバサバ女子」だった…にもかからわず、KさんのSNSは日々のゴージャスな結婚生活自慢と、小説レベルの長文ばかり。しかも、その内容は子どもの担当教師やママ友、義母の悪口がびっしり! 学生時代の爽やかな印象とのギャップがあまりに激しすぎて、すっかり彼女への見方が変わってしまいました。
……みたいなことが書かれていた。そして、@comorava19さんは、
「SNSは見なかったことにします。結局、世の中にサバサバした人はいません」
……との結論を導き出しているのだが、これはなかなかの名言だと思う。なぜ? どこらへんが「名言」なのか? それを語る前に、まずは「サバサバ女子」の定義を、できるかぎり明確にしておこう。
ネット版の『Domani(ドマーニ)』には、
「物事に必要以上に執着せず、さっぱりした性格の女性」のことと言われています。
……とある。さらに "注意事項" として、
「無関心」や「冷たい」ということとは違います。
……とも追記されている。ちなみに、「サバサバ」のおそらく語源であろう「さばけている」の "類語" を調べてみると、前出の「さっぱりした」以外に「あっさりした」「さらりとした」「淡々とした」「ひょうひょうとした」「からっとした」「飾り気のない」……などのワードが並んでいた。どれもイマイチ具象性に欠ける、ふわっとした形容ばかりであり、ならば注目すべきなのは、やはり「物事に必要以上に執着せず」といったくだりになってくるわけだが、では「物事に必要以上に執着しない女性」とは、一体どういう女性のことを言うのか?
とりあえず、やり込めばやり込むほど、自分への執着が肥大していく「SNS」は「サバサバ女子」には似合わない。したがって、@comorava19さんの「SNSは見なかったことにします」の一言はまごうことなき「名言」であり、さらには誰もが気軽に「自分」を世界に向けて発信できるこのインターネット社会において「サバサバした人」は「存続するのが困難」となりつつあるのではなかろうか。
そもそも、おのれのことを「サバサバした性格」と疑いもなく "自称" できる人ってえのは、裏を返せば、相当に「自分への執着が強い人」であって、「理想の私=サバサバ女子」を懸命に演じる際、『Domani』が「間違い」と指摘する「無関心」や「冷たさや」を、つい日々の演技へと取り入れてしまいがちだったりするのだ。そんなにも自分に無理を強いるなら、いっそ私のように「ボクはけっこう根に持つ、粘着質なネットリ男子です」と公言しておいたほうが楽チンな人生だと思うのだが……いかがだろう?