「シチューの中にご飯を入れるのはアリかナシか?」を、カップルが「瑣末な問題」のひと言で片付けてしまうのは…時に危険かもしれない件について
シチューの中にご飯を入れるのはアリなのかナシなのか──そんな議論がSNS上でにわか盛り上がっているらしい。きっかけは、とある女性による
「わたしはシチューにごはんを入れて食べるのが好きなんだけど、それしたら昔付き合ってた人に『…育ちがわかるな』って言われてめちゃくちゃいやだった」
……とのツイートで、その後、同投稿には
「人それぞれ。わざわざ言わなくても良いんじゃないかな?」
「カレーはいいのにシチューがダメな理由を知りたい」
「シチューオンライスって商品もあるし、遠藤憲一さんがCMしていて人気ですよね」
「もともとクリームシチューは日本で誕生したもので、戦後の食糧難のなか子供のカルシウム不足を補うためのレシピだったそうです。ご飯と食べるのは別に問題ないですよね」
……ほか、彼女を擁護するコメントを中心に、16万件以上のリプライが届いた……のだそう。
ちなみに、私は、液体もしくは半液体状(=ジェル状?)の「温かくて甘くない食べ物」があれば、クリームシチューはもちろんのこと、ビーフシチューだろうが味噌汁だろうがおすましだろうがポトフだろうがボルシチだろうが鍋やおでんやラーメンの残り汁だろうが……とにかくなんでもかんでも白米をブチ込まなければ気が済まないタチの人間だったりする。「お行儀が悪い」と言われてしまえば、まさにおっしゃるとおりではあるのだけれど、昨今の世の中には「おじや」「リゾット」「お茶漬け」といった便利な言葉もあるので、すべてをそのうちのどれかに無理やりカテゴライズし、なんとなくおのれを納得させている。クリームシチューだったら「クリームリゾット」、ポトフやボルシチだったら「洋風おじや」、おでんの残り汁なら「おでん茶漬け」……みたいな?
ただ、私が小学生のころ、当時同居していた祖父が、ごはんの上に湯豆腐とその残り汁(=湯)と醤油ダレをかけてから、お箸でぐちゃぐちゃにして食べていたのをよく見かけたが、正直なところ、そのビジュアルだけはちょっと気持ち悪くて嫌だった。いや、「これ絶対うまいやつ〜♪」なのは幼心にも理屈じゃわかっていたし、今から考えるとおじいちゃんはすでに歯がほとんどなかったので、健康上の理由でもこう食べるしかなかったのかもしれない。が、あのころは、どうしても生理的に受け入れることができなかったのだ。
今回の「シチューにご飯を入れるのはアリかナシか」論争(※この「シチュー」がクリームシチューなのかビーフシチューなのかは案外重要なポイントだと思うのだが…?)に寄せられた「大半の擁護コメント」のなかには
「(夫から)『ご飯に牛乳かけとるみたいで汚い』」
……という意見がひっそりと混じっていたとも聞く。そう! 納豆が大の苦手な私が、誰かが「ご飯に納豆をかけて食べる」光景を目の当たりにしたら「信じられない!」と、いまだ眉をひそめてしまうのと同様、他人の “食べ方” に対して抱いてしまう「気持ち悪い」「汚い」といった感情は、なかなか “修正” することができないのである。
ちなみに、『まいどなニュース』が行った、冒頭で紹介した投稿者ご本人への直撃取材によれば、彼女は
「育った環境を否定された気分になり、一週間後くらいにはその彼氏と別れてしまった」
……のだという。たしかに「育ちがわかるな」という無神経なセリフは暴言以外の何物でもない。何様? (クリーム)シチューにご飯を入れたら「育ちが悪い」のか? じゃあ、フランスパンでも浸して食えばセレブなのか? 日本で誕生したメニューなのに!? 反論は十でも百でも思いつく……。
だけど、こうしたカップル間の “食に対する倫理観の違い” を「瑣末な問題」のひと言で片付けて “解決” を先延ばしにしてしまうのも、それはそれで後々に “トラブルの火種” となるような気もしなくはない。たとえば私だったら、とりあえずは早い段階で「ごめん! ボク…納豆だけはダメなのよ」と、相手に “宣言” しておくことが大事なのではなかろうか。宣言さえ済ませておけば、その後「相手が食べているくらいは我慢できるよう私が頑張る」「私の前ではなるべく納豆を食べないように相手が配慮する」「納豆が食卓に出てきたら別席で食事する」「私が納豆好きになるよう相手がスパルタ教育を施す」……と、いろいろな新しい選択肢が生まれてくるのだから。